2023−10−01

先週はわけもなくお休みでした。
唐突に秋になり、生来の体力のなさも相まって、構造を持った文章を書くパワーが無くなりがち。
意識的に肩の力を抜く。

一貫性

長期連載の少年マンガを読んでいると、初期の設定が後半で変わっていることがままある。連載という形態を取っていると、瞬間でのおもしろさを重視しないといけない場面があるから、最初の構想という足枷をあえて無視する必要があるのだと思う。
ストーリーや世界観が変わることは楽しく許容できることが多いけど、キャラクターの内面の一貫性が崩れていると妙に気になってしまう。*1
現実だと、人間は理由もなくコロコロとやることなすこと変わるのにね。

色々

ひさしぶりに雨が降ったおかげか、雑草たちが元気に茂った。除草剤の色は、あざといブルーで、自身の危険性を主張している。
青は自然界の食物に少ない色だからか、食欲から程遠い色だ。青い色のカレーは食べる気が起きないけど、青い食器に盛られた料理は美味しそうに見えるのは不思議だ。かき氷のブルーハワイを最初に売ろうと思った人はネジが3本ぐらい抜けてたんじゃないのか。かき氷界のジョブス。
毒キノコがわかりやすく毒々しい色をしているのは、周囲への警告だ。
人間が歳をとると白髪になるのは、危険じゃないよのアピールのためなのかも。

形にならなかったアフォリズム

  • 白米に具を混ぜ込んだものと、炊き込みご飯とは明確に違う。一緒に炊き込むことが大事なのだ。
  • お、これいい曲だな、と思って曲名を見たときに「〜Remix Edition〜」みたいなことが書いてあった時の失望感。
  • カーディガンでは寒すぎて、フリースでは暑すぎる。
  • Silver(銀)は韻が踏める単語が極端に少ないらしい。ラッパーを殺す、銀の弾丸

*1:飛影はそんなこと言わない

2023-09-17

動き続ける

「中立」とはシーソーの中央に立つことではなく、軽い側に座ることだ。最近読んだ本にこのようなことが書いてあり感銘を受けました。 文意としては、差別の構造にまつわる話で、差別が行われる状況ではパワーバランスが偏るから、何も関与しないことは中立の立場ではなく、力の強い差別する側に加担する立場になる、といった感じのもの。いじめは傍観者も加害者になるという、アレ。

そして、対立する関係のパワーバランスは常に変わり続けるので(それもたいてい弱者がより苦しい立場に追いやられる方向に)中立の立場も常に動き続けないと保てないという主張でした。うーん、耳が痛い。

この話が妙に心に響いた理由を考えた時、人は「それまで動いていないと思っていたものが、実は動いている」という話に妙に弱いからだと思います。白鳥が水面下ではすごくがんばってるとか。地動説の話が(流行の漫画のテーマになるぐらいには)みんな好きなのも、どっしりとした確かな地面が、実は宇宙を周っているなんていうダイナミックなギャップに魅了されるからなんじゃないかなあ。あと、速すぎてむしろ止まって見える残像とか、嫌いな人いないし。

現実的には、生活に忙殺される中でいろいろなことのために動き続けるのは難しい。それでも、なにもしなければ川に浮かんで流されるままに、いつか滝に落ちてしまうかもしれない。せめて、両腕を広げたまま流されて、他に流されている人をキャッチできる準備ぐらいはしておきたい。白鳥ほど優雅じゃなくたって、流木よりはマシだろう。

2023−09−10

圧縮された画像データの代名詞としていまや人口に膾炙したJPEG。だけど、電子レンジの仕組みを知らないように、ほとんどの人はJPEGの仕組みを知らないと思います。

詳しい話は解説サイトをのぞいてほしいんですが、ざっくり言うと、画像を波の重ね合わせで表現して、人間の目には判別できないぐらい弱い波を消すことでデータを軽くしています。画像データを、波で?音なら、まだしも。文系の自分は、情報処理の試験の勉強中にこのことを知りとても感動しました。離散コサイン変換って、役に立つんだね。

画像でさえ波で表すことができるなら、他にもいろいろなものが波になっていそうだと思う。疑似科学だけどバイオリズムも波だね。

深夜のテンションでよくわからないものをAmazonで買ってしまうのも、物欲の波を打ち消す理性の波が眠気で弱まっているから、ということにしておく。

ビッグバン

「ニイガタ謎の陣」というイベントに参加してきました。県内外のさまざまな謎解きクリエイターの方々が一堂に集結し、その作品たちを遊び歩けるというイベント。とても楽しかった。

細かい感想はおいておいて「謎解き」という遊びのジャンルの表現空間の広さの可能性について思いを馳せていました。主に、ネタ切れについて。*1

SCRAPのリアル脱出ゲームの第一回が2007年。より広く「パズル」もその範疇に入れれば紀元前ぐらいから。これまでいろんな謎をたくさんの人間が考えてきて、それでもまだ新しいアイデアが出続けることは、本当にすごい。人間の叡智の賜物だなあと感じます。 ボードゲームもしょっちゅう「すでにアイデアは出尽くした。あとはバリエーションだけ」みたいなことを言われますが、毎年なんだかんだ斬新なゲームが登場するし、本当に賜物。

新しいアイデアが出続ける環境には、できることの限界が広いことと、たくさんの人が自由に動けることが重要だと思います。マルバツゲームは全パターン解析が容易で創意工夫のしがいがないし、伝統芸能とかは参入障壁が高すぎる。いい条件さえ揃えれば、人間はわりと勝手にいいアイデアを出してしまう生き物だと信じてます。

ニイガタ謎の陣のような、プロではない人たちでも様々なアイデアを自由に持ち込める環境はそのジャンルの閉塞感をこじ開ける可能性を秘めていて素敵です。

ビッグバンを起こしたのはどこかの神様かもしれないけど、新しくはじまった宇宙が広がり続けるかは、その宇宙の住人次第。

*1:謎解きに詳しい人たちの中では語り尽くされたテーマなのかも

2023-09-03

あえて

どんなものにも優劣がある。なにかしらの基準に従い、まっ黒からまっ白までのグラデーションの中に位置付けられる。ボードゲームであればその基準の一番重要なものは「おもしろさ」となるでしょう。その「おもしろさ」がなんとも微妙なものだけを選別して遊ぶという、なんとも奇妙な会に参加してきました。その名もPTA会*1

普段であれば歓迎されないようなゲームを、むしろ喜んで前のめりに遊ぶ、一種の倒錯。悪いものが良いというあべこべの世界。流行りのタイパで換算したら圧倒的マイナス行為。でもこれがすごい楽しいんですよね。

おもしろくないゲームの中でも、もっとも愛おしいものは、おもしろいゲームを作ろうという意思を感じつつも技量なのか予算なのかさまざまな理由によってヘンテコなことになっているものです。完璧になろうとする姿勢はなんだって美しい。 あとはあまりにも投げやりなやつも最高。いい大人が雁首揃えて作ったんだよな…?と制作時のイメージが勝手に膨らみます。

逆に、おもしろくないゲームの中でも唾棄すべきものは、作為を感じるものでしょう。あっしはクソゲーですぜ旦那、とやたら主張してくるタイプのあざとさ。コンペで作られたB級グルメ

一般には評価されないものを、別の軸でなんとか評価しようとする姿勢を持つことはとても大事なことだと思う。ただの天邪鬼と言われればそれまでなんだけど、みんながみんな同じものを良しとする世界はたぶんつまらない。いいものはちゃんといいものとして扱いつつ、よくないものをあえて持ち上げてみる。邪魔な石の下にはだいたいはダンゴムシがいるぐらいだけど、ダイヤの原石とかがたまには落ちてるかもしれないし。

*1:何の略なのかいまだに知らない

2023−08−27

サウナ

友人に連れられて貸切のサウナに行きました。いままでサウナらしいサウナを経験したことがなかったので、これはチャンス、見せてもらいましょかねサウナさんの本気ってやつを。というわけで水風呂とか外気浴をちゃんとやってみたところ、寝そべってるときに心臓が動いてることがハッキリわかる不思議な状態になりました。右心室!左心室!ふつうに交感神経が優位だこれ。*1

ぜったい健康に悪いだろと思いながらも、気持ちも体もすっきりしたのでサウナへの好感度爆増です。だから健康うんぬんをあんまり主張しないで、そんなの抜きにしても最高のアクティビティなんだぜ!ってことを言った方がいいんじゃないかなあ。やさしい嘘ならいらない。

栄養がどうとかおいといてもリンゴは美味しいし、頭がよくなるかどうかに関わらずボードゲームはおもしろいし。

リプレイ

同じボードゲームを何度も繰り返し遊ぶ人を「リプレイ派」、次々と新しいボードゲームを遊ぶ人を「ノンリプレイ派」と分類して、たまにSNSで派閥同士の衝突めいたことが起こっています。やり込むことで見えてくるものがあるだの、最初の体験に一番価値があるだの。

どちらが良いとか悪いとか言うつもりはありませんが、リプレイ派の人は他のことについてもリプレイ派なのか(逆もまたしかり)ということが気になりました。当然、あらゆることに対してスタンスを一貫させている人はほぼいないと思いますが、ボードゲームはリプレイ派だけど音楽はノンリプレイ派、食事はリプレイ派…みたいに仕分けしたときに、自分はどのぐらいの割合なのかを把握しておくと他の派閥と対立しそうなときに優しくなれる気がします。

私はマクドナルドの注文と格ゲーの使用キャラはリプレイ派です。

チェックリスト

  • 同じゲームを何度も遊ぶ・遊ばない
  • 同じ音楽を何度も聴く・聴かない
  • 同じ映画を何度も観る・観ない
  • 回転寿司で同じものを2回頼む・頼まない
  • コンビニで買うお菓子はいつも同じ・違う
  • いつも同じ時間に寝る・寝ない
  • 休憩するときに行くカフェは毎回同じ・違う
  • デート先に選ぶ場所は毎回同じ・違う
  • 玄関を出るときの足は毎回同じ・違う
  • 待合室に漫画があったら昔読んだものを読む・知らないものを読む
  • 服を買う時の系統はいつも同じ・違う
  • 遊びに誘う友人は毎回同じ・違う
  • 写真を撮るときのポーズはいつも同じ・違う
  • 帰り道は毎回同じ・違う
  • LINEで使うスタンプは毎回同じ・違う
  • 髪を切るときのオーダーは毎回同じ・違う
  • ボールペンを買い替えるときに買うものは同じ・違う
  • パスワードは毎回同じ・違う
  • たい焼きを食べるとき毎回頭から・尻尾から
  • 真実はいつもひとつ・そうでもない
  • ドラクエ5ではビアンカ
  • きのこの山

*1:ととのうって、こういうことじゃないですよね?

2023-08-20

引き算と足し算

友人との飲み会の場で、無地のTシャツは着ないという話があった。なにかグラフィックなり柄なりが無いと着づらいという意見。たしかに白のTシャツなんかは存在感がまったく無いから、着ている人そのものの素材の味が試される感じがあって難しい。Tシャツに描かれているものはその人の印象のクッションとなる。ポケモンでいうと「みがわり」。

人間は本能的にゴチャゴチャしているものを好む。男児が描く剣は必ずトゲトゲが付いてるし、女児が描く自画像はアクセサリー満載だ。楽天ドンキホーテもずっとゴチャゴチャしているけど、ああいう状態の方が購買意欲をそそられるらしい。

過剰な装飾がなく、削りに削った最小限のものは洗練されていると感じる。機能美。Apple製品。

洗練の真似事をするのは簡単で、とにかく無駄を、冗長を、邪念を切りすてればよい。白Tシャツにジーンズにコンバースのオールスター。引き算の美学、侘び寂び。ただ、引き算テクニックにも罠があって、限界がすぐに訪れてしまう。テーブルと椅子だけがある部屋。バリエーションはそこまで多く無くて、削ぎ落とした先の終着点は原点オー。

それとは逆に足し算の方向には豊穣な可能性が広がっている。絵の具をすべて混ぜるとなんともいえない汚い色になるけど、ごく稀に奇跡的な配色の配置が成立することがある。ドバイの近代的なビル群よりも、九龍城砦の方に漠然とした魅力を感じる。こっちは引き算と違って小手先の理屈が無いから真似するのが難しい。難しいことには価値があると思う。

引き算でシンプルに洗練させることはある程度のところまでは座学で習得できる。逆に足し算でゴチャゴチャに発散させたものから普遍的な美を取り出すことはかなりセンスに依存するように思える。こればっかりは、凡人はひたすら実践してPDCAサイクルを回せ!ってことになっちゃいそう。

今日も散らかった部屋のどこかにあるはずの適切な位置を模索して、脱いだ帽子を放り投げる。

2023-08-13

先週は旅行につきお休みでした。

ファスト&スロー

学校の授業の50分はなぜあんなにも遅く感じたのか。

先日、友人4人と愛知旅行に行ってきました。無謀にも新潟市から車での移動だったので片道7時間近くかかったんですが*1、これまでの人生経験を活かして車内のヒマな時間を楽しく潰すためのアクティビティを用意してきた甲斐もあり、目的地に到着してみればあっという間だったねと言い合うぐらい時間の経過が高スピードだったと感じました。

これがけっこう不思議で、同じメンバーが移動する車内ではなく自宅のリビングにいたら、同じヒマつぶし方法で7時間を過ごせたかというと怪しいんじゃないか。クイズや世間話もいいけど重量級ボードゲームをやりたいメンバーだし。授業の50分は辛いけど、ボードゲームのルール説明50分なら集中して聞ける。

時間の経過を早く感じるか遅く感じるか、いろんな要因があるとは思うけど、そのひとつに当事者意識がある気がします。高速道路を走る車内では。各々が率先してこの辛く長い時間をいかに楽しく過ごすかという命題に対して真摯に向き合っている。故に、早い。

おしゃべりしたりスマートフォンを見たり本を読んだりのヒマつぶしができない環境での辛い時間として偉い人の講話などがありますが、そういうときは究極の当事者意識として、自分の身体を守るために居眠りをすることにしています。

獣じゃない

洗濯機を買い替えて懐がさみしいはずなのに、冬用のダウンコートを買ってしまった。 目の前の暑さに流されず、未来に備えることができるのは獣じゃない証拠だ。 この理屈を使えばどんなものでも買えるはずだが、そこで我慢ができるのも獣じゃない証拠なのだ。

*1:ペーパードライバーなので運転は友人にお任せです。ありがとうございました。