2023-09-17

動き続ける

「中立」とはシーソーの中央に立つことではなく、軽い側に座ることだ。最近読んだ本にこのようなことが書いてあり感銘を受けました。 文意としては、差別の構造にまつわる話で、差別が行われる状況ではパワーバランスが偏るから、何も関与しないことは中立の立場ではなく、力の強い差別する側に加担する立場になる、といった感じのもの。いじめは傍観者も加害者になるという、アレ。

そして、対立する関係のパワーバランスは常に変わり続けるので(それもたいてい弱者がより苦しい立場に追いやられる方向に)中立の立場も常に動き続けないと保てないという主張でした。うーん、耳が痛い。

この話が妙に心に響いた理由を考えた時、人は「それまで動いていないと思っていたものが、実は動いている」という話に妙に弱いからだと思います。白鳥が水面下ではすごくがんばってるとか。地動説の話が(流行の漫画のテーマになるぐらいには)みんな好きなのも、どっしりとした確かな地面が、実は宇宙を周っているなんていうダイナミックなギャップに魅了されるからなんじゃないかなあ。あと、速すぎてむしろ止まって見える残像とか、嫌いな人いないし。

現実的には、生活に忙殺される中でいろいろなことのために動き続けるのは難しい。それでも、なにもしなければ川に浮かんで流されるままに、いつか滝に落ちてしまうかもしれない。せめて、両腕を広げたまま流されて、他に流されている人をキャッチできる準備ぐらいはしておきたい。白鳥ほど優雅じゃなくたって、流木よりはマシだろう。