2024-01-21

コブクロ

セブンイレブンに昼食を買いに行ったら、酸辣湯味のカップヌードルがあったので思わず買ってしまった。酸辣湯、好きです。*1 ちょっと凝ったカップラーメンは、なんか凝ってる感じの調味料が入った小袋が付いていますが、この小袋に苦手意識がある。絶対に、内容物をすべて出し切ることができないからです。オイル系のやつだとなおさらで、切り口の部分に残った凝ってる感じの調味料が気になって、小袋を少しスープに浸してなんとかしようとしてしまう。ただ単に貧乏性なだけなんですが、心のどこかで「作者が想定していた味」に少しでも近づきたいという気持ちもある。

ただ、開発者もさすがにバカではないはずで、消費者が凝ってる感じの調味料を全量出しきれない前提で味の調整をしているに違いない。となると、世間一般大多数の人と同じぐらいの意識で小袋を開けないと、作者が想定していた味に近づくことができない。限り無く近づくことはできるけど、完全一致は到底望めない。亀を追いかけるアキレスみたい。

というようなことが、何かを表現するときにも言えるな、と思いました。自分が伝えたいことの100%を正確に伝えることは、むずかしい。7割伝われば上々、ぐらいのテンションで考えるほうが精神衛生上もよい。その7割で十全に近い情報とすることに傾注する。選択と集中

その一方で、小袋の中身をすべて出すがごとく、人は必要以上に情報を読み取ろうとする性質もある。考察厨とか呼ばれるような人。作者の気持ちを答えなさい、というテストに作者自体が答えられない。さまざまな視点をもって考えることは楽しいけど、行き過ぎればそれはただのノイズになる。

想定しているものを、想定している通りに伝えることは難しい。そう考えると、ペヤングのソースの袋は中身がツルッと出てくれるから、うれしい。

*1:残念ながらこのカップヌードルは好みの味ではなかった