2023-01-08

2023年の新しい習慣として、毎週末に週報を書くことにしました。 日記を書くことも少し考えたけど、毎日ちゃんとした文章をアウトプットするのは負担が大きすぎて、そういう習慣は長続きしないと思ったので、週報。週記って言葉は、辞書にはなさそうです。

具体的

「語呂の良し悪しに人間の思考ってひっぱられるよね」
「たとえば?」
「…」
友人と会話をしていると、こういうやりとりがけっこうある。主張を投げかけるにあたって、きっかけになった具体的なエピソードがあるはずなんだけど、そっちは記憶から抜け落ちてしまっている。抽象化といえば聞こえはいいけど、単に記憶力が低下しているだけかも。

日常では会話が少しとぎれるだけだから、べつに困らないといえば困りません。だけど、具体例があったほうが会話も盛り上がるし、主張の説得力も増す(説得する必要ないけど)ので、できれば直したいところ。

同様に、形容詞を多用するのもよくないなと思いました。作品を鑑賞したときに好き/嫌い/おもしろい/つまらないで済ませず、具体的になにがそういう感情のトリガーになったのかをちゃんと言葉にしたい2023年です。

正月に行った、イオンの中に入っている古着屋の店員さんが、PCUモンスターパーカーのことを「伝説のポケモンぐらいレアです」と紹介してくれました。この人は自分の言葉でしゃべっているな、と感じました。1

野良猫

家の近くで、キジトラの野良猫にたまに会います。しっぽが大きいので、かってに『オビ』2と呼んでいます。

ひと仕事終えたあとに、なにかしら、小さなものでも演出があると達成感が増すと思う。アラジンのストーブのタンクを交換したとき、コポポッコポポと小気味よい音をたててストーブ本体に灯油が充填されていくと、よし、次も燃料をちゃんと補充してやるぞ、という気持ちになります。部活帰りにめちゃくちゃご飯を食べる子供の様子を見ている親ってこんな気分なんだろうね。

丁寧

Twitterでよく見かけるやりとりに「言葉の誤用」があります。

  1. 間違った意味で言葉を使う
  2. 誤用の指摘
  3. 言葉の意味は時代によって変わるもの、辞書に書かれていることが絶対の正解ではない的なまとめ

個人的には、言葉はできるかぎり正しい(と現在はされている)意味で使いたい派です。ただ、なんでそうなのかを考えたときに、なかなか腑に落ちる答えがなくて長年モヤモヤしていました。なぜなら、単純に言葉に対する潔癖というわけじゃないからです。誤用の一覧などを読んでいると、言葉を正確に伝えることの難しさや、誤用された背景を想像するおもしろさを感じます。

最近Youtubeで「丁寧な暮らし」系の動画をよく見ています。手入れの行き届いた家で、厳選されたお気に入りの家具・道具に囲まれて、手間を惜しまずゆっくりと人生を過ごす…そんな生活感があるようで世俗離れしている理想郷の人間たちの生活を見ていると、まるで自分もその仲間に入れてもらえたかのように錯覚できてとても気分がいいわけです。

そこでふと、自分の言葉の誤用に対するスタンスは「丁寧な暮らし」の志向と似ているんじゃないかと考えました。 丁寧な彼らは、生活のなかから徹底的に美しくないものを取り除きます。床に落ちているホコリ、むき出しのティッシュ箱、絡まった電源コード、何かの景品でもらったグラス、派手なパッケージの調味料。放っておけばかってに生活に入り込むカオスに抗い、強い意思を持って(あるいは強固な習慣化で)理想の状態を維持しているわけです。

言葉も放っておけば誤った意味で覚えていたり使ってしまっていたり。だから、普段からちょっとした疑問・違和感があれば辞書をひいて正しい意味を調べておきたい。それは、決して「おれは間違った言葉を使っていない」なんてマウントを取るためじゃなくて、刻一刻と変わり続ける言葉たちに対しての「丁寧な生活」的な抗いなんだな、という結論です。


  1. (レア度でいうと伝説のポケモンより幻のポケモンでは?とは言えなかったけど)
  2. 尾がビッグだから。尾はビとも読むし。