2023-08-20

引き算と足し算

友人との飲み会の場で、無地のTシャツは着ないという話があった。なにかグラフィックなり柄なりが無いと着づらいという意見。たしかに白のTシャツなんかは存在感がまったく無いから、着ている人そのものの素材の味が試される感じがあって難しい。Tシャツに描かれているものはその人の印象のクッションとなる。ポケモンでいうと「みがわり」。

人間は本能的にゴチャゴチャしているものを好む。男児が描く剣は必ずトゲトゲが付いてるし、女児が描く自画像はアクセサリー満載だ。楽天ドンキホーテもずっとゴチャゴチャしているけど、ああいう状態の方が購買意欲をそそられるらしい。

過剰な装飾がなく、削りに削った最小限のものは洗練されていると感じる。機能美。Apple製品。

洗練の真似事をするのは簡単で、とにかく無駄を、冗長を、邪念を切りすてればよい。白Tシャツにジーンズにコンバースのオールスター。引き算の美学、侘び寂び。ただ、引き算テクニックにも罠があって、限界がすぐに訪れてしまう。テーブルと椅子だけがある部屋。バリエーションはそこまで多く無くて、削ぎ落とした先の終着点は原点オー。

それとは逆に足し算の方向には豊穣な可能性が広がっている。絵の具をすべて混ぜるとなんともいえない汚い色になるけど、ごく稀に奇跡的な配色の配置が成立することがある。ドバイの近代的なビル群よりも、九龍城砦の方に漠然とした魅力を感じる。こっちは引き算と違って小手先の理屈が無いから真似するのが難しい。難しいことには価値があると思う。

引き算でシンプルに洗練させることはある程度のところまでは座学で習得できる。逆に足し算でゴチャゴチャに発散させたものから普遍的な美を取り出すことはかなりセンスに依存するように思える。こればっかりは、凡人はひたすら実践してPDCAサイクルを回せ!ってことになっちゃいそう。

今日も散らかった部屋のどこかにあるはずの適切な位置を模索して、脱いだ帽子を放り投げる。