2023-04-30

たてほこ

矛盾という言葉を使うとき、どうしても脳裏に、元ネタになった故事である最強の矛と最強の盾のぶつかり合いのイメージがちらつきませんか。
これって日本人と中国人だけの感覚なんじゃないかと思いました。矛盾という概念に、ほんのり香るアグレッシブさ。
英語ではcontradictionですが、これはcontra(反対して) + dico(言う)が語源なので、より純粋に矛盾という概念を扱っている。
英語では「簡単」の意味の慣用句にIt’s a piece of cake.というものがありますが、ケーキひと切れ=容易のイメージをわたしは持っていません。朝飯前、もすでに実感が湧かないけど。
そんなことを考えてばっかりいたら37歳になりました。

ちょっと変な柄の服が好きでよく着るんですが、わりと友人にコメントを貰える。好意的なものもあれば否定的なものもあって、後者はちょっとムッとなるけども、それでもその人の感性で変なものを変と表明してもらえるのはありがたい。
寓話では、見栄を張って透明な服を指摘できなかった裸の王様はマヌケと揶揄されるけど、無邪気な子供がいてくれてよかったものの、気のおけない友人がいなかったことが悲しみだよね。
SNSが発達した現代では、王様が裸だとしても、その「発見」を本人のいないところで笑いものにして盛り上がることが容易。バズることが報酬になっちゃうから、むしろ自ずから裸の王様を血眼になって探す。子供じゃなくてRTで真実を知った王様はたぶん泣く。
アンパンマンのTシャツを着ていても、ちゃんとツッコんでもらえるような人間でありたい。

ハリネズミ

なにかを褒めるときも、なにかを貶めるときも、そこには必ずなにかしらの評価軸がある。自慢ばかりする人が鼻持ちならないのは、その物差しでうっすらとこちらを値踏みしているからだ。
同様に、自虐が過ぎる人も、自分を攻撃するための物差しを持っている。そしてそれが無配慮にも周りにダメージを与えていることがある。駅の階段で傘を横に持つ人。
友人によく、自己評価が低い、と言われるので改善したいところ。

見積もり

賞味期限がちょっと切れた食べ物を前にして「少しくらいなら大丈夫っしょ」という余裕と、食べたあとに「こころなしかお腹が痛いような…」とそわそわしてしまう不安の、ギャップ。