2023上半期ふりかえり

2023年の1月から週報を書き始めて半年が経過したので、ふりかえりを書きます。

もともとの動機

気づいたら、長い文章を書く力が無くなっていました。昔は書けたのかというとそれもけっこう疑問ではあるけど、体感として「あ、文章が書けなくなっている」と去年末に感じたのはたしかでした。
幸いなことに、業務連絡的な文章を書くことは問題ないし、SNSや友人との簡単なメッセージのやりとりもさほど不自由したことはなく。つまり、情報はかけるけど、情緒が書けないのでした。

昔から、自己紹介が苦手で、今でもできれば避けたいことのひとつです。なんでみんな、あんなに自分のことについてすらすら喋れるのか。名前と出身と趣味のひとつやふたつ話して挨拶して終わり、程度じゃダメな空気にさらされるたび、ひとり気まずくなっています。

さまざまな情報が氾濫する現代では、情報自体の価値は相対的に落ちていく一方です。伝えたいことを伝えたい人に伝えるには、情報に情緒の衣をまぶさないと箸を付けてもらえない。その辺の道端に落ちている石がほんとうは千円の価値があるってことがちゃんと伝わるような、そんな文章を自在に書けるようになりたいな、という薄い願望が、毎週なにかしらの文章を書く習慣をはじめるきっかけでした。

ルール

週報を書くにあたり、以下のルールを自分に課していました。

■必ず日曜の夜に書く

2回ほど間に合わず翌日に書きましたが、サボった週はありませんでした。えらい。

■できれば1時間、長くても2時間以内に書き終える

時間制限を設けないと、延々と書き直しをしてしまう性格なので。 文章自体がおもしろくなかったり、論理が破綻しているのがわかっていもて、時間制限だし仕方ないや、の精神で三日坊主になるのを阻止。

■愚痴や悪口を書かない

ふつうの人間、表現したいことはそんなに多くなくて、それでも無理やりアウトプットをしようとすると嫌なことがあった記憶にアクセスしがちな脳の構造だと思っています。なので、強い気持ちで律しないと容易な方に逃げちゃうので、ルールとして決めていました。
どうせならポジティブなことを書きたいし、愚痴をおもしろおかしく書けるのは特殊な訓練を積まないと厳しい。

所感

書いてきた内容の8割ぐらいは、あまり納得できていない文章です。ただ、世のハウツーとして「完璧になるまで練習してから世に出ようとする」というのは失敗パターンであることはさすがにわかってきたので、これは文章力を上げるための訓練なんだ、と自分に言い聞かせて毎週"投稿"ボタンを押していました。
時間制限を設けて書いていたのも言いわけにできてよかったように思います。低いクオリティでもちゃんと継続することと、他人はそこまで見てないぞとムダな自意識を弱めることができました。
あと、週報を読んでくれた友人がたまに感想を伝えてくれるのも継続の励みになりました。今度なんか奢るね。

内容について、基本的に家に引きこもって仕事をしているので、おもしろいことはそう何度も起こりません。そうなると、すごく抽象的だったり観念的なことを書くしかないので、週報というよりかは別なジャンルでは?というものが多くなりました。
これを避けるには、日頃からメモを取るしかないと思い、なるべくネタになりそうなことを残すようにしました。ちなみにメモはObidianを使って取っています。個人的に最高のメモアプリ。*1

日々のあれこれを文章としてアウトプットするのは、頭の中から余計な記憶を捨てられるおかげか、そこそこ気分良しです。たぶんツイッターも、昔みたいに日常のつぶやきを書くだけなら同じような効果があったんだろうけど、今はそういうふうには使いづらい感じがあるのがね。

これから

半年やったんだから、残り半年もやるぞ!という気持ち。 上半期はとりあえず文章を書くことに対してののハードルを下げるぞ、という気持ちだったので、下半期はもう少し具体的に「文章力」と向き合って文章を書くようにしたいなあ。本棚に眠っている文章力本と、いまいちど向き合う時…。

そういえば、4月に友人も週報スタイルのブログ*2を書き始めてくれて、それがとても嬉しいです。
書こう、みんなも文章を。

*1:Evernoteの次のアプリとしてNotionがあまりにもしっくり来なかったんですがObsidianはジャストフィット

*2:https://sukeru-adhd.hatenablog.com/